アゾベンゼンの光異性化
アゾベンゼン(Azobenzene)は2個のフェニル基がアゾ基(-N=N-)に繋がった構造をもち、紫外光および可視光(熱でも可)の照射によって可逆的なtrans-cisの光異性化を起こすフォトクロミック分子の一つである。
trans体のアゾベンゼンは、n-π*遷移が禁制のため無色で紫外領域に吸収極大を持つ。紫外線照射によるtrans-cis光異性化によって橙色のcis体に変化する1-3。
アゾベンゼンの特徴として一つ目は異性体によって色が異なることが挙げられる。
2つ目の特徴としては、構造の変化によって分子長が大きく変わることが挙げられる。
上図のように、trans体では分子長が0.9 nmに対し、cis体は0.55 nmと半分程度小さくなることが知られている4。
このミクロな変化は、マクロな物性の変化として現れる。そのため、この分子構造の変化を利用した応用研究が多く行われている。
本記事では、アゾベンゼンの構造変化を利用した研究のごく一部を紹介する。
構造変化を利用した研究
構造変化を利用した研究として、低分子化合物と高分子化合物に分けて紹介する。
低分子化合物の例として、ホスト-ゲスト化学、分子マシン、接着剤への利用について解説する。
高分子化合物の例として、曲がるポリマー材料とスイッチ材料への応用について示す。
低分子化合物
ホスト-ゲスト化学
・p-ジシアノベンゼンやTCNQの包摂
2つのアゾベンゼンを連結した環状の化合物trans-form 1は、p-ジシアノベンゼンやテトラシアノキノジメタン(TCNQ)を内部の空間に1分子包摂する5。
包摂体は、紫外光を照射することで、環内のアゾベンゼンがcis体に光異性化する。cis体になることで、環の形状が小さくなる。形状と大きさが変化することで包摂されていたゲスト分子が放出される。
この過程は、主にNMRの化学シフトと紫外可視吸収スペクトルによって解析されている。
この変化は、紫外光と可視光の照射によって可逆であり、光照射によってゲスト分子の包摂を制御することができる。
・Pd錯体ケージによる2,6-ナフタレンジカルボン酸塩の包摂
末端にピリジンを有する配位子2の4分子をPdイオンと錯形成することでcage化合物を形成する6。このtrans体のcage化合物は内部空間を持つ。この空間の大きさは2,6-ナフタレンジカルボン酸イオンと同程度の大きさであり、ゲスト分子として包摂する。
trans-cageは、紫外光の照射によってcis-cageへと異性化する。空孔の大きさが変化することでゲスト分子が放出される。cis-cageは、可視光の照射か熱的にtrans-cageへと異性化し、trans-cageは再びゲスト分子を包摂し、可逆の過程である。
この過程は、NMR, 2D NMR, ESI-TOF-mass, 紫外可視吸収スペクトルによって解析された6。
これは、それぞれの異性体のcage化合物の単結晶X線構造解析を行い、Pd-Pd間の距離を調べたところ、trans-cageは17Åであるのに対し、cis-cageは14Å であった6。
このような大きな構造変化によって、ホスト-ゲスト能の付与が可能であった。
・金属イオンの包摂
アゾベンゼンの両末端にクラウンエーテルが縮環した化合物3の金属イオンの包摂も報告されている7,8。
化合物3 (n = 1,2,3)は、o-ジクロロベンゼン中で500 Wの紫外光を照射すると5割から7割がシス体に光異性化して光定常状態になる。
各化合物内にアルカリ金属イオン(Li+, Na+, K+, Rb+, Cs+)存在下、紫外光を照射した際の光定常状態でのcis体の割合を調べた。
金属イオンが無い状態だと紫外光照射によって光定常状態になるとcis体がそれぞれ、以下の割合になる。
(n = 1; 71%),(n = 2; 71%) , (n = 3; 64%)
アルカリ金属イオンを添加すると、n = 1のクラウンエーテルを持つアゾベンゼン3では金属の種類に関係なく光定常状態でのcis体の割合が7割程度だった。
その一方で、n = 2,3のアゾベンゼン3では高周期のアルカリ金属が存在するとcis体の割合が顕著に増加した。また、同時にcis→trans熱異性化の速度も大きな抑制効果が見られた。
これは、サンドイッチ型の1:2の金属/クラウン錯体の形成によって、cis体の安定化が原因である。
n = 2のクラウンエーテル(ベンゾ-15-クラウン-5)は、Na+を選択的に捕捉する。そのため、n = 2のアゾベンゼン3のtrans体ではNa+を捕捉している。
光異性化によってcis体に変化すると、二つのNa+よりも1つのRb+やCs+を包摂するようになる。
このように、アゾベンゼンのtransからcis体への光異性化によって金属イオンの捕捉を制御できることが報告されている。
分子マシン
・分子シャトル: 光応答のロタキサン
アゾベンゼンのtrans-cis異性化を利用したロタキサンについてです9。
ロタキサンとは、棒状分子がリング状の分子の輪の中を通り、棒状分子の両端にストッパーとなる大きな分子で固定されている超分子。
上記の例では、棒状分子にアゾベンゼンとビオローゲン基が導入されている。リング状分子としてα-シクロデキストリン(α-CyD)が用いられている。
このロタキサンは、trans体ではα-シクロデキストリンがアゾベンゼン部位に位置している。紫外光を照射することでcis体に光異性化する。この時、アゾベンゼンの大きな構造変化によってα-シクロデキストリンはメチレン基状に移動する。
この変化は可逆な過程であり、光照射によってアゾベンゼン部位とメチレン上を往復する。
このロタキサンは棒状分子上の2つの認識サイト間を移動し、分子シャトルとして機能する。この2つの異なる認識部位をデジタル信号の「0」「1」としたとき、スイッチングとすることができる。そのことから、このようなロタキサンは光スイッチとして機能する。
・分子ハサミ
続いて光駆動の分子ハサミです。
ハサミは、持ち手となる「力点」と物を切る「刃=作用点」、力を刃に伝える軸となる「支点」からなる。
力点をアゾベンゼンとして用いることで光駆動の分子ハサミが報告されている。その構造を以下に示す10。
trans-4はアゾベンゼンを「力点」、フェロセンを「支点」、フェロセンに結合したフェニル基を「刃」とした分子ハサミです。
フェロセンは、2つの平面状のシクロペンタジエニル環の間に2価の鉄が挟み込んだ構造をしている。フェロセンのシクロペンタジエニル環は室温でほぼ自由回転をすることが知られている。
そのため、光照射によるアゾベンゼンの構造変化をフェロセンのシクロペンタジエニル環の回転運動へと変換する。このフェロセンの回転運動が刃となるフェニル基の開閉を誘起する。
実際に、trans-4は紫外光の照射によってフェニル基の開閉が起こることが紫外可視吸収スペクトル、円偏光ニ色性(CD)スペクトル、NMRから明らかになっている。
1H-NMRにより、紫外光照射による芳香環に関連するシグナルの変化によって、trans体からcis体への異性化に伴い、フェニル基がお互いに離れる方向に動き、アゾベンゼンのフェニル基が重なり合う方向に動いたことがわかっている。
そのことから、trans-4では刃となる2つのフェニル基が重なったコンフォメーションをとっており、紫外光照射によってcis-4に光異性化することで刃が離れた構造に変化していることがわかった。
アゾベンゼンの構造変化を分子全体の構造変化とすることで、光駆動の分子ハサミとして機能している。
・分子ペンチ
先ほどの分子ハサミを応用した例として、光駆動の分子ペンチが報告されている11。
その分子としては、trans-4の末端のフェニル基に亜鉛ポルフィリンを結合させた化合物5。
trans-5は、trans-4と同様に紫外光-可視光の照射によって末端の亜鉛ポルフィリンの開閉が起こり、2つの亜鉛イオン間の距離が変化する。
これを利用して、亜鉛にゲスト分子であるビイソキノリンを配位結合させることで、光照射によって、あたかもゲスト分子を2本の手でつかんで「ねじる」ように動くことが報告されている。
ビイソキノリンは2枚のイソキノリン環が単結合で結合した構造で、この単結合は室温で自由回転が可能。また、2つの亜鉛と配位結合を形成できる配位性窒素を有します。
trans-5にビイソキノリンを添加すると1:1の会合体を形成した。
会合体でのビイソキノリンは配位結合によってコンフォメーションが固定され、回転運動が止まりCD特性が発現した。
会合体に紫外光を照射すると、cis体に異性化することも明らかになっている。この時、会合体に由来するCD特性がcis体への異性化に伴い消失した。
これは、異性化に伴いビイソキノリンのコンフォメーションが変化し、CD不活性のコンフォメーションになったことが原因である。
このような、円偏光ニ色性(CD)スペクトルやNMR、紫外可視吸収スペクトル測定からtrans-5の亜鉛ポルフィリンがビイソキノリンを掴んだまま物理的に捻ることが見出されている。
再生可能な接着剤: 光照射による融解
光を照射することで物質の状態が変化する材料に感光性樹脂がある。
感光性樹脂は光の照射によって液体から固体または、固体から液体への変化などが起こり、この材料は印刷業や医薬品、微細加工などに用いられている。
しかしながら、用いられている感光性樹脂の多くは高分子材料であり、一度使うと再利用ができないという課題がある。この課題を克服するには、低分子の感光性材料を開発する必要がある。
低分子の感光性材料として以下のアゾベンゼン誘導体6,7がある12。
6,7は、アゾベンゼンを環状に2つ、3つ連結させてドデシル鎖を外側に結合させた構造。
trans体の6,7は液晶性があり、固体状態でヘキサゴナルカラムナー構造となる。
trans-6,7の固体に紫外光を照射してcis体に異性化すると、分子の形が大きく変わり、液体状態となる。これは、偏光顕微鏡によって観察されています。
cis体の液体状態は加熱によって元の固体に戻る。この過程は、何度も繰り返しても起こ流。
一般的に、加熱によってだけ起こる固体から液体への変化が光異性化によっても起こる。
この材料は、繰り返し可能な接着材料や、感光性樹脂の代用として用いることができる。
物質輸送: 水の輸送
脂質二重膜内にアゾベンゼン誘導体を導入すると、光照射によって水の輸送を行うことができる13。trans体に紫外光を照射してcis体に光異性化すると、大きな体積変化が起き、できた空孔を水分子が通ることができる。
cis体のアゾベンゼンは、可視光照射か加熱によって元のtrans体に戻る。
アゾベンゼンのcis-trans異性化を利用することで物質輸送を行うことができる。他にもカリウムイオンの輸送などが報告されている14。
高分子化合物
アゾベンゼンをポリマー中に導入した研究例です。
光照射による曲がるポリマー
trans-cis異性化による分子構造のミクロの変化を材料全体の屈曲運動として取り出した例です。
まず、屈曲などの異方的な運動を起こすには分子の集合構造が異方的な必要があります。
これは、アモルファスのような等方的な集合構造では、変化時に膨潤のような等方的な変化となってしまうからです。
屈曲運動を引き起こすには、集合構造を制御することも重要となる。
以下に、アゾベンゼンをポリマー中に導入し、光照射によって曲がるポリマー材料を二つ紹介する。
①光照射によって曲がるポリマー材料
1つ目は、相田らによって合成されたポリメタクリレートの側鎖にアゾベンゼン部位を3つ連結したポリマーブラシ8です15。
ポリマーブラシとは長い側鎖を持った高分子の総称で、側鎖同士の反発の影響を受けて、以下のようなシリンダー構造を形成しやすいと言われています。
ポリマーブラシ8は、テフロンシートで挟んでから、ホットプレス法(上下から温度と圧力をかける方法)でフィルムを作製することで3次元的なシリンダー構造を形成することがわかっています。
この異方的かつ規則的な集合構造の形成によって、フィルムは紫外光-可視光照射によって可逆的な屈曲運動を示すことがわかっています。
②光照射によって曲がるポリマー材料
アゾベンゼンに二つのアルキル鎖を結合させ、その末端にシランカップリングユニットを修飾させたモノマー9を用いた系です16。
モノマー9をシランカップリング重合することで、図のようなポリマーとなる。アゾベンゼンの配向が揃い異方的な構造となる。
フィルムに紫外光を照射することで、図のようなcis体への光異性化が起こり、図のような屈曲運動が起こることが報告されている。
これらの材料は、光応答性のアクチュエーターとしての応用が期待できるものです。
光スイッチ
光照射によってポリマーの屈折率が変化することを示した例です。
ポリマーとしては、以下のように、ポリメタクリレートの側鎖にアゾベンゼンを修飾したものです17。
上記のポリマーは、紫外光と可視光 or 熱によって以下のようなcis-trans光異性化が起こる。
この時、trans体ではアゾベンゼン間の相互作用によって結晶性のポリマーとなる。その一方で、cis体のポリマーではアゾベンゼン間で有効な相互作用が形成できないことからアモルファスとなる。
この構造の変化によって、屈折率が大きく異なる。この構造変化を「0」「1」信号とすることで、光駆動で屈折率で検出できる光スイッチとなりうる。
まとめ
本記事では、アゾベンゼンのcis-trans光異性化の構造変化を利用した応用研究について紹介した。
アゾベンゼンはcis-trans光異性化によるミクロな変化は、分子全体の構造、もしくはポリマー全体の集合構造に大きな影響を及ぼす。
この変化を利用することでホスト-ゲスト化学、分子マシン、光スイッチ、接着剤、アクチュエーター材料など様々な物性を引き出すことができる。
他にも、アゾベンゼンに関して2つの記事を書いています。
・アゾベンゼンの吸収・蛍光特性について

・アゾベンゼンの光異性化のメカニズムについて

参考文献
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